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風のいろ

明日 お天気やったら嬉しいなぁ 

常照寺 

11月22日(火)
常照寺は、日乾上人に帰依した吉野太夫ゆかりの寺として知られ、
太夫の墓や太夫が寄進した「吉野の赤門」と呼ばれる山門、
吉野窓(茶室)、吉野桜も有名。

赤い山門は「吉野門」とも呼ばれているが、名妓2代目吉野太夫の寄進。
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幼少のころに禿(かむろ、遊女の世話をする少女)として林家に抱えられ、
禿名は林弥(りんや)といった。
14歳で太夫になる。
和歌、連歌、俳諧に優れていて、琴、琵琶、笙が巧みであり、
さらに書道、茶道、香道、華道、貝覆い、囲碁、双六を極めたという。
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また太夫18人の絢爛豪華な衣装を纏う集いの中、
寝床から寝乱れ姿で出てきた姿にもかかわらず
圧倒的な存在感を放ったといわれるほどの美貌を備えていた。
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才色兼備を称えられ国内のみならず、
遠くは明国にまで「東に林羅山、西の徳子よし野」と
聞こえていると言わしめるほど名を知れ渡らせ、
馴染み客には後陽成天皇の皇子で近衛信尹の養子である関白近衛信尋や、豪商で、
当時の文化人の一人である灰屋紹益がいた。
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寛永8年(1631年)退廓・紹益と結婚。時に26歳。
寛永20年(1643年10月7日)に死去、38歳であった。
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紹益は愛着のあまり、妻の骨灰を飲み干し、
「都をば 花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして」という詩を吟じた
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吉野の墓は日ごろ帰依していた鷹ヶ峰・常照寺にあり
毎年四月に吉野を偲んで花供養が行われます
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お天気の良さにつられてぶらっとバイクで京都に。
平日だというのに 市内にはいる手前から車が多い。
お寺のある鷹峰山方面は この辺りは タクシーで乗りつける人が多く
それでも 結構な人がきていた。

帰りは帰りで やはり車の多さに辟易
秋の京都は 奇麗だが 移動は大変。 




 





Posted on 2011/11/24 Thu. 21:10 [edit]

category: 日々

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